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金津園とは?歴史から知る駅徒歩3分の街
👣 金津園とは
金津園(かなづえん)は、岐阜県岐阜市のJR岐阜駅南口から徒歩約3分の場所に広がる歓楽街です。東海地方を代表する色街として知られ、その独特の街並みと歴史で人々の関心を集めています。現在は主にソープランド街として営業していますが、街の成り立ちには長い歴史があります。
📜 金津園の歴史
🌾 ① 明治時代のはじまり
金津園のルーツは**1888年(明治21年)に厚見郡上加納村字金津で開かれた「金津遊郭」**にあります。当初は遊郭として古くから賑わいを見せましたが、その後何度か場所が変わっていきます。
🏙️ ② 柳ヶ瀬〜戦後の変遷り
その後、金津遊郭は一度柳ヶ瀬の西側(西柳ヶ瀬)に移転しました。戦時中は軍需工場のため別の地域に強制移転されるなど、大きな変化を経ています。
🧱 ③ 現在地への移転(1950年)
戦後の1940年代〜1950年代には、紡績工場跡地であった現在の場所(岐阜駅南口)へ移転しました。このとき業者は約60軒あり、くじ引きで営業区画が決められたといわれています。整然とした区割りはその名残です。
🛣️ ④ 戦後の歓楽街として — 法制度の変化と現在の姿
金津園は歴史の中で、さまざまな社会制度や法令の変化とともに形を変えてきた歓楽街でもあります。かつては「遊郭」と呼ばれる公的に認められた遊興区域として存在し、戦後には戦局や都市整備の影響で何度か移転・変遷を経ました。戦後の混乱期には、売春を特定の区域で行っていた時代があり、当時の俗称として「赤線(あかせん)」と呼ばれた地域区分がありましたが、これは当時の都市計画や行政区分を指す歴史用語的な表現です。
その後、1956年に日本で売春防止法が成立し、1958年にはこの法律が全面的に施行されたことで、法的に売春行為は規制対象となりました。これに伴い、性的サービスを提供する形態は変化し、直接的な法違反とならない性サービス産業(例えばソープランドなど)が全国各地で発展しました。金津園もその一例で、戦後の社会変動と法規制の枠組みの中で、現在のようなソープランド街としての形態を確立していきました。
このように、金津園は単純に一つの時代で完結する街ではなく、日本の近代・戦後史と成人向け産業の変遷を体現する地域のひとつとして位置付けられます。
📍 金津園の今 — 駅前に残る街並み
現在の金津園は、昼と夜で全く違う表情を見せる街として知られています。昼間は静かな雰囲気が強く、夜になるとネオンが灯り別世界のような光景に変わります。最盛期には70軒以上が並び東海地方でも大規模な歓楽街として賑わいましたが、近年は建物の老朽化や営業店舗の減少といった変化も見られます。
📍 アクセス
JR岐阜駅 南口から徒歩約3分 — 駅のすぐ南側に位置するため、交通アクセスは非常に良好です。